地区特別企画
- ・地区企画部長: 山本 昭夫 (学習等高等科)
- ・地区企画副部長: 物井 伸一 (筑波大学附属高等学校)
今年の全国英語教育学会(JASELE)は、記念すべき第50回となります。「過去と未来をつなぐーJASELE の 50年を総括して」をテーマとして開催されるこの大会を、わたくし達「関東甲信越英語教育学会」(KATE)が担当させていただきますこと、学会員一同誇りに感じ、開催準備に励んでおります。
関東甲信越英語教育学会 (KATE) 50年の歩み
実は、来年、KATEも学会設立50周年を迎えます。そこで、地区特別企画として、JASELEの皆様とともに歩んできたこの50年のKATEの取組みを振り返り、それぞれの時代において、どういった目的や思いを抱きながら、学会活動を進めてきたのかを傍観してみたいと思います。
「常に英語教育に真摯に取り組んできたKATEの姿勢をお感じいただければ幸いです。きっと、一つ一つの学会活動に込められた思いには、全国各地区の英語教育関係者の皆さまにも同感していただけることも多くあろうと願っております。
企画1
1977年から現在に至るまで、121号発行されてきました「KATE Newsletter」を紐解き、4つの年代に分けて、その時々で、KATEが英語教育にどう向き合ってきたのかを振り返りました。
担当者は以下の通りです。(欠番除く)
- (1) 飯島 睦子 (群馬大学)
- (2) 伊藤扇 (慶応義塾幼稚舎, 東京学芸大学連合大学院)
第27号 ~ 第50号 1986年-1993年: |
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『大いなる前進を』という池永勝雅会長のタイトルで始まる1986年最初のNewsletter (No.27) は、関東甲信越英語教育学会 (KATE) 発足10年の節目を迎え、「中高大の先生方が手に手を取り合って地道に歩む学会であってほしい」という発会頭初のことばを引用され、「その点に関する限り、他の学会には見られない特異な学会に発展している」、と当時の会員300名に語りかけていらっしゃいます。同号では、吹貝賢一先生が『初心忘るべからず―大いなる発展のために―』の中で学会設立趣意書をご紹介くださり、当時の日本の英語教育界を取り巻く様々な問題や社会的背景の強いうねりを読み取ることができます。
本稿は、第2期として1985年から1993年に発行されたNewsletter 第27号から第50号までを取り上げます。約10年毎に改定されてきた学習指導要領は、1989年 (平成元年) に第5回改訂となりました。「新しい学力観」に基づいた教育、即ち、「思考力、判断力、表現力を重視し、生徒が自ら主体的に取り組む」ことや、外国語教育では「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てる」ことが目標に掲げられ、後の学習指導要領改定に大きな影響を与えたことが分かります。この年の冒頭、小池生夫先生が『英語教育の改革と新学習指導要領』 (No.36) の中で、「急激に変化する国際社会の中にあって、急速にのしあがった日本の国際社会での活躍の量的・質的拡大を考えなければならない状況」を挙げ、新学習指導要領が英語教育の目的を「意志を疎通させるコミュニケーション能力と態度の育成」にあると断じたことは、「教育の国際化」という意味で大きな転換点である、と述べてられています。
社会的背景としてバブル経済の絶頂期から崩壊へと移り変わる時期ですが、KATE ではどのようなテーマが論じられていたのでしょうか。図11この間にKATE の研究大会で扱われたテーマ一覧です。英語教育に携わる当時の先生方が持っていた問題意識をNewsletter から読み解き、次の4つの項目について述べることにします。

(1)「国際化」「異文化理解」:国際化の時代というキーワードが世の中に頻繁に登場し、「国際理解教育の推進」という流れを受けて、英語教育がその役割を大いに期待されるようになります。海外に進出する企業も増え、「帰国子女とカルチュア-ショック」 (No.30) という表現が出てきます。しかし、「国際社会の中に生きる」→「外国人と接する」→「英語(外国語)が必要だ」→「日本人は英語が話せない」→だから「英語(外国語)教育を考え直そう」というのは単純すぎる図式だ、と警鐘を鳴らす意見 (No.33) や、AET (Assistant English Teacher)とのTeam TeachingやLL教室・ビデオ機器を使用した異文化理解の授業実践が紹介され (No.44)、英語教育が文化吸収型から発信型の内容に変化する時期だったことが分かります。大学からの視点として、企業就職に「外国語運用能力の高さ」や「国際的な感覚」が評価されるが、もっと巨視的に眺め、「多元的な文化を受容・理解し、人的、心的な面での国際交流関係」を持つことが教育機関に活性化をもたらし、教育の質を高めてい
く、という提案も見られました(No.37)。
(2)「AET の活用」「Team Teaching」:この時期、「ネイティブスピーカーとの授業」がNewsletter に多く取りあげられます。外国語指導助手 (ALT: Assistant Language Teacher) が日本の学校に派遣され始め、1987年に「JET (Japan Exchange and Teaching) プログラム」が始まると、その数は急増します。JET プログラムは外国語教育の充実と地域レベルの国際交流の進展を図り、諸外国との相互理解増進を目的として開始されました。図2に示す通り、プログラム開始時は848 名、英語圏の4カ国(アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)から招致されましたが、その後、対象言語が増え、1993年には10カ国、3785名の参加となりました(2024年現在、51カ国、5861名)。Team Teaching によって生徒が「生きた英語」に触れる機会が増え、英語を「外国の人々と交流する手段である」と捉える姿勢も出てきましたが、その一方、AET の導入は「中・高の英語教育界に、教授法を変える一つの大きな波紋を投げかけている」 (No.39) との指摘もあり、Team Teaching に携わるAET の声が報告され (No.48)、高校の「オーラル・コミュニケーションA・B・C」導入を前に、ネイティブ・スピーカーの活用やクラスサイズの問題、教員研修の充実や教育機器の設置など、現場からの問題提起が次々に行われていたことが窺い知れます。

(3)「Oral Communication」「大学入試」: 1992年度から中学と高校で段階的に実施された学習指導要領では「聞く」「話す」「読む」「書く」の4 技能をバランスよく育成するという従来の方針に加え、「コミュニケーション能力の育成」が明示されました。中学校英語では「話すこと (やり取り)」と「話すこと (発表)」の2項目が明文化され、高校では1993年度以降、「オーラル・コミュニケーションA・B・C」の科目が新設され、スピーキングやリスニングを中心とする授業が導入されました。しかし、中学・高校では「受験に勝てる英語を詰め込むべきか、国際化時代に役立つ英語に重点を置くべきなのか−その微妙なバランスを求めて、英語教育の現場は揺れ続ける」 (No.29) という当時の新聞記事が紹介され、依然として読解・文法中心の傾向が強い大学入試の英語試験内容と、求められている英語教育とのギャップに悩む教師の声が多く聞かれたようです。1993年のNewsletterでは、「文法事項の中学生の習得順序」に問題を投げかける意見があり、「国際的に通用するコミュニケーション能力とは一体どのようなものなのか」(No.50) という声や、「観点別評価について」 (No.49) もかなり活発な議論が交わされていました。
(4)「実用英語」「英会話」:日本社会の国際化とバブル経済を反映して、英語教育産業の隆盛が取り上げられています。「商品としての英語」(No.37)では本場英国での語学研修について問題を投げかけ、「英会話狂想曲」(No.41) では「すぐに」とか「簡単に」という魔法の言葉に惑わされることなく、「教える方も学習者も努力と忍耐が必要なことは昔から変わらない」と指摘しています。これは一方で、英語教育が日本経済や産業と密接につながっていることを示しています。日本企業のグローバル展開が「ビジネス英語」の需要を高め、英語力のある人材育成を教育界に求める図が展開したのです。現在も外国為替の変動は日々のニュースですが、1985年のプラザ合意を受けて、対米ドル円相場は1ドル250円から150円にまでなり、海外に渡航する出国日本人数が大きく増加するきっかけになりました。社会全体が「使える英語」を求める中で、英語教育の質的転換が学校現場に求められたわけです。
以上のように、KATEの歴史を読み解くことができるNewsletter は、時代ごとの英語教育の流れを今に伝え、多くの先生方の貴重な記録と資料の宝庫であることが分かります。KATE だからこその圧巻は、大学・短大・高校・中学それぞれの学校種から「目指すべき英語教育」の意見を集結させ、当時の先生方が熱く語られている号です (No.48)。多種多様な意見や問題点が共有され、山岸信義先生が「日本英語教育改善懇談会」報告にて、「小学校への外国語科の導入」に触れ、外国語教育を含む
異文化理解教育の推進に向けた教員養成の体制整備の必要性を述べられている点に、現職教員として注目しました。
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- (3) 栗原達也(桐朋中学校・高等学校, 東京学芸大学一連合大学院)
- (4) 早房拓実 (筑波大学大学院)
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